練習について① ピアノの練習の魅力 ~「努力の価値」について~
日野市程久保に私がピアノ教室を立ち上げたのは今春(2023年4月)ですが、指導歴は間もなく20年になろうとしています。
(→小金井教室の立ち上げについてはこちら)
その中で「練習や努力の大切さ」を強く感じています。
「ピアノを習う」ということは、「日々コツコツと練習や努力を積み重ねる」ということです。
私はこの「努力」は、心を豊かにして、人生を彩ることのできる「目には見えない宝物」だと思っています。
そこで今回は「ピアノを習うということ(練習をすること)」と「努力の価値」について、述べてみたいと思います。
「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」
これは発明王トーマス・エジソンの有名な言葉です。
この言葉の解釈はいろいろありますが、私はこの「努力」は「練習」に相当するのでは…と思っています。
どんな物事でもひらめき、つまり「才能」は1%で、あとは努力の賜物…発明では「努力」、そしてスポーツや芸術など「技術」が必要とされる分野では、この「努力」に「練習」があたるのでは…と思うのです。
例えば野球の大谷翔平選手はトレーニングや練習の時間をしっかり確保するそうですが、それが世界で通用する二刀流のプレーを支えているのだと思います。
また将棋の世界では、史上初の八大タイトルを独占した藤井聡太八冠(2023年10月現在)が有名ですが、藤井八冠は将棋に専念するために、高校の卒業を目前に控えながら中退するほどのストイックさです。
どちらも非凡な才能がありながら、その才能を開花させるために並々ならぬ努力やたゆまぬ練習を重ねているのだと思います。
天才でさえ並々ならぬ努力や練習をしている…
では、ここまでの才能はない普通の人ならどうなのでしょう?
たとえば少ない才能でも99%努力したらどうなるのか…。
私は、ここにすべての人の希望があると思っています。
99%の努力
平昌オリンピック(2018年)でフィギアスケートの代表だった宮原知子選手は、世界選手権で銀メダルを獲得したほか、全日本選手権で四連覇するなどの輝かしい成績を残しています。
その指導者である濱田美栄コーチが、インタビューの中で宮原選手のことを「才能がないのに努力でここまで頑張った!」と評したのを聞いて、私はびっくりしてしまいました。
宮原選手が本当に才能がないとは思えませんが、数多くのオリンピック選手を育てる濱田コーチから見れば突出した才能はないのかもしれません。
でも、たぶん、宮原選手は他のどんな選手にも劣らない「努力家」なのでしょう。
たくさんの「努力」あるいは「練習」をした人の成功例が宮原選手かもしれません。
才能はないかもしれないけれど、「努力」や「練習」は誰でもできる…その「努力」や「練習」が多ければ結果を出せる…宮原選手はその見事な成功例ではないかと思います。
もちろんここまでの「努力」や「練習」を誰でもができるものではありません。
でも99%でなくても、80%でも、あるいは50%でも、「努力」や「練習」はきちんと自分に蓄えられるのではないか…と私は思うのです。
非凡な才能がなくても、また99%の「努力」をしなくても、「努力」には価値があると、私は思うのです。
努力の方向性
野球やスケート、将棋の達人についてコメントしましたが、大事なのは、人はそれぞれこの「努力」を何にどれだけ向けるのか…ということだと思います。
いろいろなことに興味のある人は、幅広く多くのことにチャレンジするのも大いにありだと思います。
ただその中で特に好きなこと、興味のあることに多くこの「努力」を向けることになるのだと思います。
あるいは好き嫌いに関わらず、「勉強」に多くの比重をかけなければならない時期もあるでしょう。
でもそんな中、「熱中できる何か」があるのは、とても幸せなことだと思います。
これが「音楽」であったり、「ピアノ」であったりする人が多いと嬉しい…というのが、私の思いです。
音楽が好きで、「ピアノを頑張りたい!」と思う人のお手伝いができること…それがピアノ講師の一番の幸せです。
ピアノのレッスンの特殊性
ところで「ピアノのレッスン」は、「与えられた課題を練習して、次のレッスンまでに弾けるようになって行く」という、かなり特殊な習い事です。
「自宅で練習して、できるようになって行く」習い事って、他にはないのではないでしょうか。
毎日ピアノに向かう習慣をつけることが求められます。
大変そうに聞こえるかもしれませんが、意外と楽しくこの習慣を身につけて行くことができます。
そう考えると、「毎日自宅で練習する習慣」が楽しく身につくピアノって、素晴らしい習い事ではないでしょうか。
毎日コツコツと努力する…つまり常習的に「練習」する習慣が身につく習い事って、他にはないのでは?…と思います。
「ピアノの練習」のイメージ
では、ピアノでは実際にどんな練習をするのでしょう?
大雑把に言えば、レッスンで講師に指示された曲を自宅で練習して、弾けるようになって次のレッスンに行くのですが、弾けるようになるまで、何度も同じことを繰り返し練習します。
その「繰り返し」の反復練習は、漢字や計算の「ドリル」に似ているし、野球や剣道の素振りにも似ている気がします。
何度も同じ動きをすることで、体で覚えると同時に、頭の中に回路を作って行くイメージです。
繰り返し行うことで、何度やっても正確に同じようにできるようになる「回路」です。
そしてピアノは、小さい時から始めるのが効果的…と言われますが、それは教えていて、本当だと実感します。
(小さい頃とは…大人との会話ができて、ある程度の社会性も身につく頃…だいたい幼稚園の年中さん頃だと思います。)
これは語学の習得に似ている気がします。
子どもは自然とまわりの人の言葉を覚えて話せるようになって行きます。
小さい頃は言語の習得がそれほど難しくないけれど、大人になるにつれて大変になって行きます。
つまり、頭の柔らかいうちの方が「回路」を作りやすいのだと思います。
ピアノの「回路」は、これにとてもよく似ているように感じます。
そして語学と同様にピアノも、やめてしまうと忘れてしまいます。
小さい頃に外国にいて、その国の言語である程度の会話ができていても、やはり小さいうちにその言語を使わなくなると、その言葉を忘れてしまうように、ピアノもやめてしまうと弾けなくなってしまいます。
ただ小さい頃に一度「回路」を作っておくと、大人になってから再開した時に、全く初めての人よりはずっと楽に感覚を取り戻して、また回路をつなげて行けるように思います。
使わない神経は発達しないけれど、「回路」は眠っていても甦るものなのではないか…という気がします。
ピアノのレッスンを小さいうちに始めるのがお勧めの理由
「天才」の話からピアノの話になりましたが、つまり「ピアノを習う」ということは、「日々コツコツ練習する人、努力する人になれる」ということです。
おそらくどんな分野の天才でも、この「コツコツ練習すること」を重ねているのです。
その「努力」なしに才能は開花しないでしょう。
「天才」はめったにいない…でも、「努力」や「練習」は誰もができるのです。
「努力」や「練習」を積み重ねても「天才」にはなれないでしょう。
でも、蓄えられて行く技術は、きっとその「努力」や「練習」の量に比例する…と、私は思います。
それはきっと、その努力や練習をした人の「目には見えない宝物」となり、心を豊かにして、人生を彩ることができる…と思うのです。
小さい頃にピアノを始めれば、その蓄積は膨大な積み重ねになって行きます。
音楽やピアノをいつかやめてしまっても、そこまでに蓄えたものの何かは残るし、「コツコツ練習する」習慣が身につくことも含めて―たぶんそれ以上に、心の豊かさにつながることで―きっとお子様の人生を豊かに彩ることができると思うのです。
だからピアノのレッスンってステキだし、無限の可能性を秘めている…と私は思います。
そんなわけで、お子様がピアノでたくさんの「努力」や「練習」ができる人になるようにサポートしたいと思っています。
以上、「練習が大切-というより貴重-である」と、私が思っていることについてお話しました。
次回以降も「ピアノの練習」の魅力について、様々にお伝えして行きたいと思います。
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