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世田谷区立玉川小学校・創立150周年!おめでとうございます!そして、ありがとうございます!

玉小の一番の思い出のちから山

私の入学した世田谷区立玉川小学校が、今年(2024年)創立150周年を迎えました。

玉小が創立100周年の時、私は小学2年生で、記念行事の一環で、50年後に掘り起こす予定で埋めたタイムカプセルが、今年その50年目を迎え、この秋に掘り起こされました。

とても良い状態で中の作品が出てきて、私も絵と作文を受け取りました。

(詳しくはこちら→50年前に埋めたタイムカプセルから出てきた絵と作文

小学生時代の作品を受け取って、とても楽しい気持ちになったので、受け取り会場だった上野毛まちづくりセンターから玉川小学校まで歩いてみました。

今日は、久しぶりに探訪した玉川小学校を、50年前の思い出とともに紹介します。

上野毛まちづくりセンターを出て玉小へ

歩いてびっくりしたのは、東急田園都市線上野毛駅から玉川小学校までの近さ。

まちづくりセンターは上野毛駅から徒歩3分ほど。

玉川小学校は、まちづくりセンターから、上野毛駅とは反対方向に徒歩5分弱。

つまり、上野毛駅と玉川小学校は歩いて10分弱。

それも1本道なので、びっくりするほど近く感じました。

子供の頃、この距離はもっと遠くに感じていました。

子供の足で歩くのと、今との違いに、なんだか感慨深かったです。

玉川小学校の正門

出来上がりを楽しみにしていた「つきやま」の正式名称は「ちから山」

玉川小学校に到着すると、なんと幸運なことに、その日は校庭開放日。

学校の中に入れました。

「150」の形をしたパンジー

正門の前の植栽は、パンジーで「150」の数字を型づくっていました!

校庭の奥には…そう、あった!

斜面に滑り台のある、大きな山!

休み時間になると、一目散に走って行った山です。

これは創立100周年の記念に、当時の卒業生や関係者が、子どもたちのために贈ってくれたものでした。

小学2年生になって、突如校庭に築かれた山を、私たちは「つきやま」と呼んでいました。

つまり、山が出来上がって名前が決まるまでの呼び方…つまり「築山」の意味だったのですが、一日も早く遊びたかった私達は、大人達の言う「つきやま」という言葉を聞いて、「つきやま」の完成を待ちわびたのでした。

「つきやま」が完成した後、私達は一体どれだけ山を登り、滑り台を滑り降りたことでしょう。

「つきやま」の名称は、「ちから山」と決まったことを、山のそばにあったプレートを見て思い出しました。

おそらく「つきやま」と呼んでいた記憶のある人は少ないでしょう。

私は「ちから山」と呼んだ時間よりも「つきやま」と呼んでいた時間の方が長いまま転校してしまったので、「ちから山」だったことを忘れ、「つきやま」という言葉の方が記憶に残っていたのでした。

ちから山で遊んだことが、玉小での一番の思い出

さて、この「ちから山」での遊びですが、

最初のうちは滑るのが楽しかったのですが、あまりにも滑り降りるのが一瞬なので、なんだか降りるのがもったいない…

そこで考え出したのが、滑り台のふちにしがみつく遊びです。

滑り台のふちの、少し高くなったところに最初の子がしがみつき、次の子はその子にしがみつき、次々と子供がぶら下がって行く…という遊びです。

ぶら下がる子が多くなると重くなって、一番上の子がその力に耐えられなくなると、みんなで一緒に落ちる…という具合。

これだと確かに滑り台にいる時間が確実に長くなります。

安全面でどうだったのか、今思うと疑問で、ひょっとしたらこれ、のちに禁止になったかもしれません。

でも、この遊び、私にとっては玉小で一番楽しかった思い出です。

真似する人は…いないでしょうが、真似しないでくださいね、念のため。

玉小を後にして

こうして懐かしい玉小訪問を終えました。

残念ながら、「ひょっとした思い出せるかもしれない人」に全く会えませんでした。

当時のお友達とは既に親交もないし、まちづくりセンターでも、1・2年生の作品のテーブル付近にはほとんど人がいませんでした。

それに作品を引き取っている人も少なくて、クラスの人の作品がほぼ残っている状態でした。

私が行った後に、多くの人が引き取りに行ったのでしょうか。

それとも多くの人が遠くに散ってしまったのか、それともタイムカプセルのことを忘れてしまったのか…。

そのことは、少し寂しく感じました。

でも、家に帰ってきて…

不思議なぐらい大きな力に満たされていることと、大きな感動に包まれている自分に気づきました。

なんだか、ものすごく幸せな気持ちでした。

正門近くのこの場所にタイムカプセルが埋められていたはず。

ありがとうございます!

同行した夫にも、「とても幸せなことだと思う。」と、言われました。

夫の卒業した小学校と中学校は、どちらも統廃合されて既にありません。

「50年前の作品が、こんなにきれいに保存されて出てくるなんて、すごいよ。」と、夫も感動しています。

「こうやって、作品を50年保存しようと思う人がいて、50年間保存し続けてくれた人がいて、掘り出そうとしてくれた人がいるから、こうして手元に戻ってきたわけじゃん。」

そうなんです。それ。そこです。

「子ども達の50年後に笑顔を届けたい!」きっと、50年前、創立100周年の時に、たくさんの大人達が知恵をしぼり、案を出し、尽力してくれたのでしょう。

そして50年間、ずっとそれを守り続けてくれた人達がいる…。

そして、それを子供の時から覚えていた人達が、掘り起こすことに尽力してくれたのです。

大きな、本当に大きな人の輪です。

それも、長い時間をかけての。

そして、その作品が、思い出させてくれました…、子どもの頃の、楽しい思い出を。

50年前に、子ども達に楽しく、たくさん遊んでほしい!と思って、やはり知恵を絞り、案を出し、作ってくれた滑り台つきの大きな山。

どれだけ楽しく遊んだことでしょう。

50年前に贈られた大きな愛を、今、あらためて受け取りました。

そこにはたくさんの人の愛がこもっています。

だからこんなに感動して、エネルギーをもらえるのです。

誰に御礼を言えば良いのでしょう?

答えは、たくさんの、知らない人達。

でも、こんなにステキな、こんなに愛にあふれた贈り物を受け取った人間として、この先、世の中にお返ししながら生きていきたいと思います。

玉川小学校の創立100周年記念に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました!

そして150周年、おめでとうございます。

いつまでも続きますよう、心からお祈り申し上げます!

100周年記念の碑があったのですね!