私がクリスチャンになった経緯 ~ バッハの宗教曲、人生の質を変えた師との出会い
私は2013年に調布市の保恵キリスト教会で洗礼を受けました。
このページでは、私がクリスチャンになるまでの経緯、音楽とのつながりをお話しします。
音楽と歌、バッハのカンタータ(宗教曲)
音楽の基本は「歌」であると、私は思っています。もちろん歌そのものも好きですが、どんな楽器の演奏でも、歌詞や声がなくても、名演であればあるほど演奏する人の「歌」に聴こえてくるのです。
音楽の、あるいは演奏の根底には歌が流れていると思う…だからレッスンの中でもよく歌ってもらいます。ピアノをはじめてすぐの人には歌いながら弾くテキストを使っているのもそのためです。
「うたとピアノの絵本」も「アキピアノ教本」(どちらも年中・年長さん向け)も「ピアノスタディ・レパートリー」(小学生向け)も、最初はすべて弾き歌いです。
弾き歌いは正直、難しいです。足を使うエレクトーンと同じく、両手以外にも気を配るので、難易度が上がります。弾き歌いをした後は、両手で弾くのが簡単に感じられたりします。でも、それだけではなく「歌うように」自然な流れで弾けるようになります。
私自身もかなり長いこと、そして今も「歌」を歌っています。決してうまくはなく、美声でもないのですが小さい頃から歌っています。大学ではバッハのカンタータ(宗教曲)を歌うクラブに所属していた他、学外の「マタイ受難曲」(これもまたバッハの宗教曲です。)を歌う研究会にも所属していました。私の学生時代はバッハの宗教音楽とともにあったといっても過言ではありません。
当時の私はクリスチャンではなかったのですが、バッハの曲を神髄まで理解したくて教会に通っていました。卒業後すぐはあまりの忙しさに歌からも教会からも離れてしまいましたが、結局後に歌を再開することになり、またそれがきっかけで教会にも通い、洗礼を受けるに至りました。
思い返してみると、子供の頃から讃美歌が好きで、それがコーラスや受洗につながって行ったのだと思います。
ちなみに一番好きな作曲家は?と聞かれたら、バッハかショパンか、はたまたベルディか迷うところですが、尊敬する偉人は?と聞かれたら、間違いなくバッハです。バッハの一番好きな曲は?と聞かれたら、「マタイ受難曲」の中のアルトのアリア…ペテロが予言どおり鶏のなく前に3度イエスを「知らない」と言ってしまい後悔する場面のアリアです。
人生の師匠との出会い
人が師と呼べる人と出会えるのは、とても幸せなことだと思います。幸いなことに、私は2005年に岸田順子先生という師匠に出会い、現在に至っています。先生にはコーラスとして歌と、またそれに必要だからということでアロマを学んでいますが、それだけでなく、それ以上に、人生や生き方を学んでいます。出会う前と後とでは、明らかに人生の質が違っています。
先生のことを知ったのは、母の朗読の仲間が集まって歌を歌っていたのですが、ある時、声と歌が劇的に美しくなった人がいたのです。その変わり方を聞いて「すごい先生がいるのかもしれない」と思い、すぐに紹介してもらいました。
出会ってびっくり、世の中にこんな人がいたのか!と思いました。
歌の指導はもちろん、歌うための体のとらえ方、世界観(あるいは宇宙観)、生きる姿勢(精神性)…おっしゃることのひとつひとつが衝撃的なほど真理をついているように感じました。先生は、歌は体が楽器だから、よく整った体にしてからでないと美しい声は出ないし、歌は歌えない、とおっしゃいます。
先生ご自身は、ご両親の介護をなさった時に、良くなる方法を探って整体とアロマを勉強されたそうです。だからソプラノ歌手でありながら整体師でもあり、アロマアーティストとしても活躍なさっています。そしてクリスチャンでもあります。
先生の教えに驚きつつ、またその生き方は「善く生きる」お手本であり、師がこうなのだから自分も頑張らなければ!と多々思います。そんな師匠に歌の伴奏を頼まれて行くようになった教会ですが、その信仰こそが師匠のすべての源であることに気づき、私も教会に通うようになり、受洗に至ります。
先生と出会ってから18年になりますが、「すごいなぁ…」と感嘆して尊敬することがまだまだたくさんあります。追いつくことはありませんが、その生き方をお手本にさせていただいています。聖書の教えは素晴らしいけれど、それを身近な人間が実践する姿を見せてもらえるのは大変ありがたいことだと思っています。
聖書について
2013年に受洗して、もうまもなくクリスチャンになって10年もたとうとしていますが、残念ながら聖書の教えを語れるほどの言葉を私はもっていません。聖書の御言葉がすごいな…と思い始めたのはつい最近のことだからです。
これもまた岸田先生のお声がけで始めたことですが、2017年の夏から聖書の音読をしています。聖書について学ぶのはあまりにも時間が必要だから、かといって黙読だと文字だけが素通りすることもままある…そこで音読によって、聖書を全部読もう、という会を立ち上げました。
今、ようやく半分を過ぎました。聖書は部分的にはよく読んでいても、通読はなかなか難しいです。また、礼拝で取り上げられるのも新約聖書が多く、旧約聖書は取り上げられても断片的で、なかなか全体像は見えてきません。
でも、最初から通読していると、だんだん何か見えてくるものがあるのです。最初のうちは、特にユダヤの戒律などを読んでいると、同じような文言が並ぶので眠気との闘いです。でもそこを超えて、いつもの間にか夢中になり、旧約も新約も、いろんなところでつながっているのが見えてきます。
そして…だんだん気づくのです…ものすごく尊いことが書かれているのだ…と。あらゆる聖句が素晴らしい教えであり、胸をうつようになってきます。そして今では、人生の基盤というか指針ができていることに感謝しています。師にめぐり会えたことも幸運でしたが、信仰に導かれたことに感謝しています。
アロマ
「人生の師匠との出会い」の項で書きましたが、アロマはコーラスにとって大切だから、という師匠の方針で学び始めました。月に4回のレッスンの中で3回はコーラス、1回はアロマでした。
声の出し方や音楽の作り方は、アロマとよく似ている…と先生はおっしゃいます。まずイメージを持って、香りを感じる部分をつかって息を通して行く…そんなかんじでしょうか。
私は最初アロマには全くといっていいほど興味がなかったので、かなり面くらいました。アロマで使うオイルは植物から作られますが、その植物は宇宙の動きと連動していて… Oh my god! なんだかすごい、素晴らしいことを教えてもらっているのはわかるけれど、私にそれを受け取れるだけの知識も容量もありません。「どんなことをやっているの?」と人に聞かれても、全く説明できませんでした。だから当初は一回のレッスンのうち何か一つでも覚えられたら良し、としていました。
そこから18年。ペパーミントやラベンダーなどの効能のほか、ツボや経絡、チャクラといった体の仕組みもずいぶん覚えました。歌のためだけでなく、「良く生きる」ための手段として実践するうちに、かなり健康になりました。
20代や30代の頃よりも、50代の今の方がずっと心身共に良いコンディションで過ごせています。今、私が在るのは、このアロマを学んだおかげです。精神だけではなく、体をもつ私たちにとっては必要不可欠な実践です。