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頑張れ新成人! ~命のあることに感謝して~

今日は成人の日です。

美しい振袖で着飾った新成人達が、冬の街を彩っていることでしょう。

おめでとうございます。

ひとりの成人として、社会に踏み出して行ってくださいね。

私が成人の日を迎えてから、もう40年近くが過ぎようとしています。

40回近くこの日を通り過ぎることができたことを、とても感謝しています。

というのも、実は私自身の成人式の日、ひとりの友人を失う…というとても悲しい経験をしたからです。

私の成人式の日…友人の死

友人は、大学で同じ科(東京芸術大学楽理科)の人でした。

同じ科といっても、私は一年浪人して、一方彼女はとても優秀だったので、大学では1年上でした。

私と彼女とは、高校2年生の時から、芸大の楽理科を目指す高校生の指導に定評のあった先生の元で、共に学んでいました。

彼女と私は、それほど親しかったわけではありません。

彼女はとても優秀で、私など近寄れないような気がしていました。

たぶん、それは他の人も同じだったと思います。

でも、彼女自身は決して高ぶるわけでもなく、性格がきついわけでもなく、

むしろ気品と優しさがにじみ出ていて、誰もが一目を置き、そして憧れていました。

きっと名立たる音楽学者になるだとう…と、みんな思っていました。

恩師からの電話で知った友人の死

だから成人式の日の夜、私達を指導してくださった先生からお電話をいただいた時、はじめは先生が何をおっしゃっているのか、誰のことを言っているのかわかりませんでした。

「私、お葬式にひとりでは行けない。一緒に行きましょう。」

たぶんその言葉で、初めて彼女の死を認識したのでした。

私と先生の家はとても近くでした。

私も、先生と一緒でなければ、とてもお葬式に行くことはできなかったでしょう。

死因は心不全…とだけ聞きました。

何かの病と闘っていたのでしょうか…痩せ細って行く彼女を、周りの人達はとても心配していた…と、後から知りました。

成人式の記憶をしばらく失っていた

人間の記憶というのは、なかなか良くできています。

実はその日の記憶を、私は長いこと失っていたのです。

あまりのショックに、自動的に記憶を封印してしまっていたようです。

その日のことを思い出したのは、それから10年近く経ってからでした。

当時、府中の森芸術劇場の職員だった私は、ある成人式の日、夜10時まで勤務する当番でした。

複数回に分けて行われた成人式もいよいよ終わろうとする頃、ふと、「あれ、私の成人式ってどんなだったけ?」と思ったのです。

成人の頃は武蔵野市に住んでいたので、武蔵野市の成人式に出席したことを思い出したのですが、思い出すまでにずいぶん時間がかかりました。

「なんで私、そんなに前でもないことをこんなに覚えていないんだろう?」と不思議に思いつつ、その日の記憶をたどって行き、ようやく恩師から来た夜の電話のことを思い出したのでした。

長いこと封印された記憶がよみがえった瞬間、ひざが折れてその場にしゃがみこんでしまいました。

そこからようやく彼女の死に向き合い始めました。

開くことができなかった、彼女の遺稿集

自宅には、彼女の叔母にあたる方からいただいた、彼女の遺稿集がありました。

彼女の叔母に当たる方は、大学で教鞭をとる音楽学者でした。

その方が彼女の死を悼み、大学受験にあたって私達が恩師の元で書いた小論文対策の作文の原稿を集めて遺稿集にしたのでした。

それは学生時代にいただいたものでしたが、その日まで、1ページも読むことができませんでした。

なぜならそこに収められた原稿はすべて、私達の恩師の目にかなった「合格」の作文で、そこに集う塾生全員の前で、彼女自身が読み上げたものだったからです。

遺稿集を開くと、言葉と一緒に彼女の声も聞こえてきて、とてもではないけれど、悲しくて、読むことができませんでした。

小論文対策の作文は私達にとっては難しく、なかなか先生に「合格」をもらえませんでした。

そんな中、彼女の作文はいつも「合格」、それも素晴らしいのです。

同時にテーマを与えられ、同じ制限時間の中で書き、多くの塾生が「合格」をもらえない中、彼女の文章は、その論点といい視点といい、構成といい、みんなをうならせるものがありました。

彼女は、違う…、みんなそう思っていたから、嫉妬したり、やっかんだりする人なんていませんでした。

どれだけ彼女を尊敬し、憧れたことか…。

結局、その日も遺稿集を取り出したものの、読むことは出来ず、段ボールの一番上に置いただけでした。

その日以降も何度か手にはしましたが、読むことはなく、私自身の引っ越しや、実家の引っ越しなどで、結局どこかになくしてしまいました。

それから約40年の歳月が流れ、娘の成人式からも間もなく10年

そんなこんなんで月日は流れ、自分の娘が成人式を終えてからさえ、間もなく10年になります。

成人式の日の夜にお電話をくださった恩師も、既に故人となりました。

生きていると、いろんなことがあります。

今日の成人の日、東京の空は晴れ渡っていますが、大雪で大変なところ、震災の復興がはかどらないところなど、場所により、様々な困難の中にある人もいるでしょう。

元気な新成人ばかりではないでしょう。

私の友人の命の灯が消えたのはちょうど成人の日でしたが、今まさに命の灯が消えそうなほどの病と闘っている人もいるでしょうし、友人や家族などを失いそう、あるいは失った、という人もいるでしょう。

いろんな困難があり、いろいろな人がいるでしょう。

人によって状況は様々で、見える景色は人それぞれでしょう。

ただひとつ言えるのは、今、命があるのはありがたい、ということです。

どんな状況にあっても、命のあることはありがたい

そういえば、私の娘は成人式に参加しませんでした。

私からすると、自分の生まれ育った地元で成人式を迎えられるなんてうらやましい、と思いました。

私は父の仕事の関係で引っ越しが多かったので、武蔵野市に住んだのは高校生からで、成人式に行っても知っている人はひとりもいなかったのです。

それに引きかえ娘は…と思ったのですが、娘は昔からの知り合いがいる会場に、逆に顔を出したくなかったようです。

詳しい事情はわかりませんが、頑なに成人式に出ないという娘に出席を強制する理由もなく、それから10年近く平穏に過ごせています。

娘の成人式に対する思いも、人によって見える景色の違いだと思っています。

人により、いろいろな成人の日があると思います。

ただ、命があることはありがたい、と思います。

成人の日、暗い話になってしまいましたが、命のある人は命のあることに感謝して、成人となった人は社会人として、自分の道を懸命に歩んでほしいと思います。